02.04.12:58
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10.20.09:41
こんにゃく道を制すには。
雲南省に雲隠れしていました。
毎度お騒がせの鈴木です。
日中関係が微妙な中、ここ中国で幸せにも沢山の守ってくれる友人に囲まれ、鈴木は安全且つ幸せに元気で生きております。
レポーターの仕事が終わり、ドラマの撮影の合間に友人の開催する音楽祭の手伝いで雲南省の麗江という場所に10日間程行って来ました。
新しい場所で新たな出会いがあるかと期待するも、あまりにも有名な音楽祭なので親しい友人がこぞって雲南に終結し、気楽ではあるけれど、楽しくもあるんだけれど、なんだか新鮮さに欠ける旅でした。ええ。
この半年間、一つ一つはとても小さいのだけれど、重なると少しばかり戸惑うような出来事が続いて、もしかしたら今年は、私にとって本当に変化の年なのかなと・・・。
ぶつける先のない憤りとか、途方もない虚脱感とか、自分の無力さを果てしなく思い知らされたり。
こんにゃくで出来た道を、目をつぶって歩く気持ち悪さ。
でも、馬鹿だと思われようがなんだろうが、笑ってしまえれば、どうにか転ばずに踏ん張れるってことに、今更だけどあらためて気づきました。そう。とにかく笑え。
少しばかり歪んだ笑顔でも、案外、こんにゃく道には効果あり。
くだらない理由で、悩む振りが出来るなら、くだらなくない理由で、笑えられたら勝ちでしょう?
這ってでも前進、踏まれても気にすることなんかないのさ。
ブログ再開します。うん。今回は本当。
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09.15.08:15
朝。
躓ける石があるのなら、それはそれで悪くない。
ぶつかる壁があるのなら、それはそれで相当な幸せ。
枯れるほどの血を流しても、触れられる温もりがあるのなら、価値ある生と呼べるはず。
混濁しぼやける視界に一筋の光。
正気の在り処を見つけた、そんな朝。
おはようございます皆さん。
07.24.18:03
<神断狄仁傑>
06.22.21:22
日々の破片。
先週末から体調崩して、吐き気と眩暈に苦しんだ。郊外での撮影が続き、山道をグネグネ登ったり下りたり、車酔いが一週間程継続した感。具合いが悪い時に一人で不必要に大きいベットに寝転がって考えることは、大方幸せとは程遠いもろもろ。
極度な近視の二つの目が見つめる現実感の乏しい部屋。景色は常に変わる、人は移動を続ける。目を閉じれば真っ暗闇。
後退にも見えるほどののろまな前進。それでいいんだよと慰めてくれる人を探すのは簡単。でも、必要なのは慰めなんかじゃなくて、もっと現実的で確かな追い風。
笑ってしまえば何もかも、ゴミ箱にすら入れる必要のないガラクタ。敬意を払うほど自由で奔放な人が好きだったけれど、自由な人は他者を許容する器すらない事に気づいた。形のない物や者に執着するのは余りにも自虐的。
生活が社会が仕事が齎す外的な圧力よりも、自分の造りだす内的な圧力の方が痛い。柔軟性の無い心に宿るくだらない感情に左右されて生きるのは悪だ。もっとかっこよく上手に生きられたらいいのに。
芸術は余裕のもたらす産物だと、誰かが言ってた。
芸術は自虐のもたらす怪物だと、私は思う。意味不明だけど。
余裕の産物だろうがなんだろうが、腹を満たしてくれないものを愛する変人。それが芸術家。私は芸術家には成れないけれど、そんな変人達を愛する奇人。凡庸さを憎むが故に、自分を時に激しく許せない。
愛だの恋だの、私には結局理解できないらしい。
そういう素敵なものが在るって事だけは信じているけれど。
自分に属さない素敵なものに、心を痛める暇があるなら、一生昼寝でもしてればいいじゃない?
必要なのは、誰かと飲む夜明けのコーヒーじゃなくて、一人で飲む覚醒のコーヒー。
コーヒーがくれる苦味や温かさを、幸せと呼べれば、人生は明るい。