04.19.05:59
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09.16.04:53
オリンピックに向けて。
昨晩、アパートの階段の踊り場に
男性が2名、布団をひいて寝ていた。
音に反応して明かりが点く仕組みになっている為、
夜に帰宅の際には、踊り場に着く度に床を足で蹴り、
電気を点けている鈴木。
もしも、彼らが鼾のひとつもかかずに寝ていたならば
容赦の無い勢いで、どちらか一人を踏み潰すところだった。
あまりの驚きに、些かの悲鳴を上げた鈴木であるが
彼らは、目覚める事無く熟睡。
(あぁ、外は雨だしな・・・お疲れ様です。)
と、一応簡単に自分で納得して帰宅。
本日は一日中、北京市内を北へ南へ東へ西へ。
最後には北京郊外へと飛び出す始末。
気付いたら森の中の川辺にて、川魚の刺身食べてました。
テーブルに蝋燭2本。
周りは真っ暗・・・。
疲れていて料理の味など分からず。
その後再び1時間半かけて市内に戻り、
ジャズライブ鑑賞。
目を閉じ曲に耳を傾ける振りして、
心地よく熟睡。
曲の終わりの拍手にて、毎度目覚め、
心臓バクバクしながらも、
「今の曲、いいですねぇ~ははは」
とか、なんとかでごまかす。
しかもライブ聴きながら、
仕事の話をするには不向き。
相手が何言ってるのか、何度も聞き返したりで、
ライブ終了後には本日の歌手以上に
声が枯れた。(当社比)
「近いうちに、静かな場所で打ち合わせしましょう。」
との言葉が最後の締め。
(・・・最初からそうしてよ。)
と帰りのタクシーの中で愚痴をぶつぶつ繰り返し言っていたら、運転手が、
「仕事っつうのは、そんなもんだ!つらいんだったら、上海の家に帰りな嬢ちゃん!!がはは」
(・・・東京だし。いや私、日本人だし・・・。)
と今度は心の中で呟く。
さっき、私が今一番関心を持っている役者さんのブログを見た。
その中に、
你可以不知道你是谁,但你不可以不知道你不是谁.
(自分が誰だか知らなくてもいい、でも自分が誰かではないという事は知っていなければならない。)
ってな事が書いてあった。
物凄く分かる。
でも、ちょっと考えてしまった。
簡単だけど、なんか妙にインパクトのある言葉だな。
つい先日、この彼に会った際に、
「俺は自分が誰だか知っているだけ、他の奴らより賢く生きていけていると思う。狡い卑怯な奴と言われても、自分の人生に無駄な事は一切する気は無い。情は恐らく、母親にしか持ってないな。母親が死ぬまでは、このまま生きるよ。」
と言っていた。
うまく表現できないけれど、
恐かった。
すごいと思った。
こんな彼に、
「リンムーは単純で微妙に馬鹿だね。」
と役者オーラ全快の笑顔で言われた私は、
お気に入りの白いシャツに、
ナス炒めをこぼし、
自分に対して愛しさとせつなさと心強さを抱えつつ、
帰路に。
がんばれ。リンムー。
オリンピックはすぐ目の前だ。
はじめてブログへのコメントします。バンコク在住の者です。貴女の文章から感じる素の感性に惹かれました。自己の確立を他者の否定により俳優氏よりそれら全てに反応しながらも自己基準(価値基準)に「自分」を見失わない貴女の方が素敵ですよ。俳優は自己愛(美学的ナルシスト)がなければ務まらない商売なので、頑強な言葉(思想)の鎧で守りを固めた人は多いものです。頑張って!これからもブログ拝読させていただきます。
ありがとうございます。
バンコクですか・・・世界がどんどん狭くなってきている気がします。
これからも、どうぞ宜しくお願いします。
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